多排出セクターにおける 企業のトランジション計画策定状況調査レポート2025 鉄鋼セクター
調査の趣旨
KSIでは2023年、日本企業において移行計画の具体化がどの程度進んでいるのかを明らかにするため、多排出産業と銀行セクターを対象に移行計画策定状況調査を実施、公表した。調査からは、排出量の実績についての開示は進んでいる一方、科学的な根拠に基づいた1.5度目標の設定と排出経路の提示、排出削減目標を達成するための特に短期的な実行計画、Scope3の削減目標設定などにおいて課題があることが分かった。今後はより野心的な目標への更新に加え、計画の履行状況と目標の達成状況が問われていくことになる。
これを踏まえ、第2回目となる本調査では、移行計画の全体像を把握することに重点をおいた前回調査の視点を踏襲しつつ、実行計画の履行状況、排出量削減実績、そして事業ポートフォリオや資本配分等の計画が移行計画に整合するものであるかという視点により注目して調査を実施した。さらに、海外企業と比較をすることで、日本企業の現状や課題を捉えることを試みた。
調査対象企業
日本製鉄株式会社
JFEホールディングス株式会社
株式会社神戸製鋼所
(比較対象企業)
ArcelorMittal S.A (LUX)
POSCO Co., Ltd. (KOR)
(参考企業)
東京製鐵株式会社
SSAB AB
Key Findings
Scope1&2 排出削減目標 (指標 1.1)
各社は2030年にCO2総量削減目標を3割前後削減させる計画
高炉メーカーは排出原単位目標の未設定が目立つ
Scope3 排出削減目標 (指標1.2)
ArcelorMittalのみが目標を設定し、日系各社は未設定だが、削減貢献量の設定等で独自に対策を先行
排出削減目標の野心度(指標1.3)
投資家が重視する国際的な1.5℃パスウェイに整合させるには、高炉メーカー各社は現計画の約1.5〜2倍の削減を必要とする
高炉の排出原単位削減に寄与する技術の進捗を考慮し、数値比較に留まらない実態に即した多角的な評価も必要と考えられる
2030年以降の事業ポートフォリオ計画(指標1.4)
各社とも脱炭素社会に適合した製品への数千億円規模の資本投下を行っている
グループ内での連携・融合や、再エネ・EVの普及に資する製品の開発・設備投資など、取組を多角化
Scope1&2 排出削減実績(総量)(指標2.1)
総量削減実績は、ArcelorMittalと日本製鉄は、基準年から目標年までの年平均削減率に基づくと2030年の目標達成圏内
高炉メーカーの原単位の実績値は1.5℃目標水準との乖離が依然大きく、25〜35%以上の削減が必要
Scope3 排出削減実績(総量)(指標2.2)
全社とも鉄鋼業において主要なカテゴリ1と3を網羅
日系3社は概して直近3年間は減少傾向
Scope3算定の透明性・正確性には課題が残る
内部炭素価格の適用(指標2.3)
ArcelorMittalとPoscoは内部炭素価格制度を導入済みだが、日系3社はシナリオ分析に留まり、実効的な導入が注目される
排出削減目標と役員報酬の連動 (指標2.4)
JFEホールディングス、神戸製鋼所、Poscoの3社は報酬と排出削減目標を連動させている
実行計画と履行状況 (指標3.1):観点①原燃料の調達
各社は電炉転換を見据え、スクラップ調達網の垂直統合を加速
ArcelorMittalは再エネへの直接投資等に参画、日本企業も調達電力の脱炭素化を進める
水素還元製鉄に不可欠なクリーン水素導入に向けたインフラ構築に向け、官民連携で水素受入基地等の拠点形成に乗り出している
実行計画と履行状況 (指標3.1):観点②製造プロセスの脱炭素化
日系3社はグリーンイノベーション基金を活用した官民連携を軸に複線的に技術開発を推進
外部環境の変動による計画の遅延リスクが業界共通の課題
実行計画と履行状況 (指標3.1):観点③需要面での対策
JFEがグリーンスチール販売目標で先行も、マスバランス方式の実効性が問われる
透明性の確保と需要家との対話を通じた市場創出が鍵
資本配分 - 脱炭素型事業・資産への投資 (指標3.4)
日本製鉄、JFEホールディングスは中長期の投資計画における脱炭素投資が確認できるが、他社は資金執行計画の開示が限定的であり、移行計画の実現性を評価する上で課題が残る
考察
鉄鋼セクターの脱炭素化に向けては、未だ多くのイノベーションが不可欠である。従来高炉で製造していた高級鋼を電炉プロセスで製造する方法、高炉プロセスそのものを脱炭素化させる水素還元製鉄などは、まだ大規模商用化に向けては多くの課題が残る領域である。さらに商用化に際して欠かせない、周辺インフラを含めた大規模な設備増強・更新の必要性も踏まえると、必要な資金は途方もない額に上る(*1)。
こうした巨額のプロジェクトを動かすには自社資金だけでは当然事足りず、政府による補助金や税控除等の支援、金融機関・機関投資家による出融資など、あらゆる種類の資金を呼び込むことが欠かせない。そしてこの「移行資金(トランジション・ファイナンス)」を呼び込むために必要な信頼の基盤こそが、本調査の趣旨でもある「野心的な目標設定」および、それを裏付ける「信頼性の高い移行計画」である。各社はかかる戦略をもとに、政府や投資家との対話を通じてその着実な実行を支援・促進し、ともに脱炭素実現に向けて挑戦していくことが必要となる。
今回の調査で深掘りした日系大手3社(日本製鉄、JFEホールディングス、神戸製鋼所)、ArcelorMittal、および、Poscoの排出削減目標および移行計画からは、刻々と変化する外部環境下でも脱炭素を重要な経営課題の一つとして捉えていること、排出削減に向けた施策を具体化していること、そして、施策の実行体制を現実的に検討している姿を確認することができた。これは歓迎すべき姿勢といえるだろう。その一方で、いくつかの観点、すなわち、排出削減の観点で必要十分な目標になっているのか、そして移行計画で謳われている施策の実効性は担保されているのか、といった観点において、疑問が残る内容になっているのもまた事実である。
目標設定の観点においては、高炉メーカー各社がCO2排出総量で目標を設定しており、CO2排出原単位の目標は多くの企業が未設定である状況が浮き彫りになった。各社の発言等を踏まえると、目標未設定の背景には各脱炭素技術のイノベーションが不十分であり、具体的な商用化のめどが立っていないことが関係していると推察される。特に日本においては現時点で目途のついている取組でどれだけ減らすか、というような積み上げ型の発想で目標達成の蓋然性が強く意識される傾向が強いため、これは一定の理解に足る事情でもある。しかしながら、SBTiのセクター別ガイドライン等でも言及されている通り、生産量の増減によって進捗が左右される排出総量の目標では、企業の排出削減が芳しくなくても、景気動向次第で目標達成とみなされる可能性がある。然らば、より純粋な製造プロセスの排出削減のマイルストーンである原単位目標をバックキャストで設定し、(既に各社とも開示しているが)年次の実績値と比較する、という形が本来あるべき目標設定の姿であろう。
ArcelorMittalは上記のようなバックキャスト型に近い形で、2030年までに排出原単位を25%削減(グローバル)という目標を設定し、その後、技術開発の遅れや事業環境の悪化の遅れを理由に、設定した目標の達成が難しいとの見解を示した(*2)。このように、目標設定・移行計画策定に際しては、バックキャスト型を基軸としつつも、現状の状況を分析して細かく調整をしていくこと、その状況を丁寧に投資家に説明していくことが必要になるだろう。
施策の実効性に関しては、各社が移行計画にて掲げている施策を遂行できるのか、また各施策は目標達成に十分な削減効果を有しているのか、という両面で課題を抱えている点も見えてきた。本文で言及している通り、各社は電炉への転換、水素還元製鉄等を通じた既存の高炉の脱炭素化といった施策を掲げているが、ArcelorMittalは一部の水素還元製鉄プロジェクトについて最終投資決定(FID)の延期などを決定している状況にある(*3)。既存技術の延長であることから短期的な施策として期待の集まる電炉への転換に関しても同様であり、例えばJFEホールディングスが進める倉敷での電炉導入では、膨大な送配電網をいかにして整備していくか、という課題に答えが出ていない。
また日本製鉄が掲げる複線的アプローチの中の1つの選択肢として期待される高炉水素還元技術、いわゆるCOURSE50についてはその排出削減効果が約30%にとどまる。また、外部水素を吹き込むことによって100%脱炭素化の期待がなされるCOURSE50の進化版、SUPERCOURSE50についてはその大規模実装が2040年代になると見込まれている(*4)。同技術は貴重な高炉の脱炭素化技術の一つであり、開発難易度は高いものの、既存の高炉設備およびそこで培ってきた技術やノウハウを最大限活用できる技術の開発には意義があると評価できるだろう。しかしながら、果たして喫緊の排出削減が求められる同社において、限られた資金の中で、他の脱炭素技術(電炉や水素直接還元製鉄)と比較して排出削減効果に劣る同技術に膨大な資金を投じることは真に妥当な方針と言えるかは疑義が残る。
調査対象全社において言えることではあるが、特に日本の鉄鋼メーカーは一丸となって複線的に脱炭素化施策を進めている。しかしながら、果たしてそのすべてが十分な排出削減効果を有しているか、そしてそれを踏まえて現時点で資金を投じる意義のある施策なのか、改めての精査が必要と言えるだろう。例えば、カーボンリサイクル高炉については、何基をいつまでに導入するのか、その総コストはどのくらいか、またその投資額あたりのCO2削減量をどのように評価しているのか、といった検討のプロセスは、各社の開示からは確認できない。既存設備・リソースの延命・活用やファイナンス状況等に過度にとらわれず、中長期の目線を持ち、技術、経営、ESG(排出削減のみならず、人権や生物多様性等も含む)の観点から総合的に最適な移行手段を検討していくことが求められるだろう。
本レポートでは世界の鉄鋼セクターを支える各事業者の脱炭素への取り組みを情報開示の観点から分析しているが、実際の鉄鋼セクターの排出削減・脱炭素化は、目標と移行計画の設定のみにとどまらない。近年事業者は、SSBJによる日本版S1、S2の策定・義務化への対応や、欧州の企業サステナビリティ情報開示指令(CSRD)等の規制対応を重要視せざるを得なくなっている。しかしながら、かかるトレンドは、Muller(2018)が「The Tyranny of Metrics(測定の専制)」という言葉を用いて表現・提唱したとおり(*5)、各社の情報開示の目的を「見せかけの数字の改善」に終始させている懸念もある(*6)。折しも、カーボンクレジット市場やCDR技術の発展によって、CO2排出量の帳尻を合わせる手段が増えてきているものの、実業での変革がなされなければ、根本的な解決につながるとは言えないだろう。情報開示を通じて必要な資金を確保し、実業の排出削減を推進する、という本来あるべき姿を各事業者が今後も追求していくことを切に願いたい。