水素セミナーレポートVOL.1 日本の水素戦略を振り返る 大場紀章氏が解説する水素政策「3つの時代」

2023年6月、2017年に策定された水素基本戦略が改定されました。日本では官民を挙げて、脱炭素の切り札として、また成長産業として、水素の普及を目指しています。

しかし、高い生産・輸送コストや、供給網の構築、製造・輸送段階のCO2排出など、水素社会の実装には、超えなければならない課題が多く残されています。

鎌倉サステナビリティ研究所(KSI)は、世界的なエネルギーアナリストで、BloombergNEFの創設者であるマイケル・リーブライク氏をお呼びし、モデレーターとしてポスト石油戦略研究所代表の大場紀章氏をお迎えして、水素社会の実現可能性を問うセミナーを開催しました。

エネルギー分野に精通した二人の専門家によるプレゼンテーション、そしてクロストークのハイライトを、2回に分けてレポートします。

 

© 鎌倉サステナビリティ研究所

左から、ポスト石油戦略研究所代表 大場紀章氏、鎌倉サステナビリティ研究所代表理事 青沼愛、Liebreich Associates会長兼CEO マイケル・リーブライク氏 © 鎌倉サステナビリティ研究所

 

 

講演者

マイケル・リーブライク氏(Michael Liebreich) Liebreich Associates 会長兼CEO

 
 

マッキンゼー社を経て、New Energy Finance(後のBloomberg New Energy Finance)を創設。2014年まで同社のCEOを務め、エネルギーや脱炭素技術に関する情報で世界をリードする独立系プロバイダーを率いた。その後はShellやEquinor等の大手エネルギー企業のアドバイザー、英国貿易商の政府審議会委員、国際エネルギー機関(IEA)、World Economic Forum、WBCSD、Hydrogen Council(水素協議会)などの国際機関・ネットワークの委員などを歴任。国連総会やG7のエネルギー大臣会合などでも講演。また、ロンドン市交通局の取締役を務めたほか、脱炭素ソリューションに投資するベンチャーキャピタルを創設するなど、交通や投資分野にも精通。エネルギー工学、交通工学、経済学、投資などの専門知識を統合した分析は国際的に高く評価されている。近年は、水素の活用方法を始め、エネルギー転換について経済合理性、エネルギー合理性の観点から様々な分析を実施。世界から注目を集める。2022年世界水素総会(World Hydrogen Congress 2022)における基調講演でも大きな話題を呼んだ。

Liebreich Associates:https://www.liebreich.com/

 
 


モデレーター

大場 紀章氏 エネルギーアナリスト/ポスト石油戦略研究所 代表

 

エネルギーアナリスト/ポスト石油戦略研究所 代表

京都大学理学研究科博士後期課程単位取得退学後、技術系シンクタンク勤務を経て現職。ポスト石油時代における日本のエネルギー安全保障や産業戦略について提言を行っている。株式会社JDSCエグゼクティブフェロー。株式会社PHP総研客員研究員。株式会社ちとせ研究所スペシャリスト。経済産業省「クリーンエネルギー戦略検討会」委員。

ポスト石油戦略研究所:https://www.postoil.jp/

 

50年にわたる日本の水素政策

日本では、世界で初めての国家水素戦略として、2017年に水素基本戦略が策定されましたが、古くは70年代から、石油危機を背景として水素活用構想が始まりました。

セミナーの第一部では、日本の水素政策の策定や、近年ではグリーントランスフォーメーション(GX)推進戦略の策定にも携わってきた大場氏に、日本の水素戦略の歩みを整理していただきました。

 

© 鎌倉サステナビリティ研究所

 

「3つの時代」

70年代の2度の石油危機、1988年には気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設立され第1次報告書を発表、90年代には米国カリフォルニア州のゼロエミッション車(ZEV)規制とCOP3の京都議定書、2011年の福島第一原発の原発事故、そして2020年に菅政権下でカーボンニュートラル宣言というエネルギーをめぐる時代背景の中で、日本の水素政策も変容していきます。

大場氏は、日本の水素戦略の歩みを、1970〜90年代の「技術研究開発の時代」、2000〜10年代の「燃料電池自動車(FCV)の応用実証の時代」、そして現在に至る「発電とカーボンニュートラル燃料への拡大という時代」と3つの時代に分けて考えることができるといいます。

 

日本の水素政策の推移とその背景 © ポスト石油戦略研究所

 

70年代〜90年代 技術研究開発の時代

日本の水素政策は、70年代の石油危機をきっかけにした「脱石油」の流れから始まり、燃料電池や水素の研究開発へとつながっていきます。

70年代には石油危機が2度あり、当時の日本のエネルギー政策の至上命題はとにかく脱石油でした。サンシャイン計画、ムーンライト計画、ニューサンシャイン計画という3つのプロジェクトにおいても、「脱石油」が大きく掲げられたわけです。(大場氏)


この時点では、石炭のガス化・液化、地熱発電、太陽光発電など、燃料電池や水素に限らず幅広く技術開発をする方針がまとめられていますが、ニューサンシャイン計画のなかでは、水素を船で輸送してグローバルに利用するWE-NET(World Energy Network)計画という構想がすでに登場しています。未利用の再生可能エネルギーを水素の形に変換して、需要地に輸送するという構想です。

しかし、水素ステーションを3つ国内に設置したことを成果として、途中で終わるという形になったといいます。

 

WE-NET 計画の構想(WE-NET websiteより)

 

2000〜2010年代 FCV応用実証の時代

1990年にアメリカ・カリフォルニア州でゼロエミッション車(ZEV)規制が導入されたことを転機に、燃料電池自動車(FCV)の開発が加速します。アメリカで最大の自動車マーケットであるカリフォルニア州での規制は、アメリカ市場を重視する日本の自動車メーカーも無視できなかったのです。

当時の日本では、アメリカで(FCVを)売るなら、まずは日本で普及させるという発想になります。トヨタ自動車と現ENEOS、経済産業省がタッグを組んで、業界のリーダーとして、日本でのFCVの普及に取り組み始めました。2001年に、資源エネルギー庁長官の私的研究会で、FCVの販売目標として2010年に5万台、2020年に500万台、2030年に1,500万台が据えられ、後にこの数字が政府の公式な目標となり、大きなビジョンが打ち出されたわけです。(大場氏)

しかし、それでもFCVの商用販売はなかなか始まらず、2015年までには必ず販売を開始しようという新たなコミットメントが2010年に合意されます。この時のシナリオでは、まずはFCVよりもインフラとして水素ステーションを先行して設置することが必要とされ、2025年までに水素ステーションを1,000台、FCV販売を200万台という目標を掲げて事業がスタートしました。

大場氏は、この時代に水素が「国策化」するにあたり、2014年にもう一つ重要な転機があったといいます。

2014年の参議院の予算委員会で、「水素は国策なのか?」と片山さつき議員に問われた安倍首相が「そうです」と答えました。この瞬間に水素は国策としての大義名分を得て、日本の水素政策が大きく推進されるきっかけになりました。(大場氏)

しかしそれでも、FCV販売は振るわず、日本は世界で初めてFCVを商業販売化したにも関わらず、今では国内販売台数で世界一の韓国をはじめ、中国とアメリカにも抜かれているという状況にあります。


2017年〜 発電・燃料への拡大の時代

2015年のパリ協定や、2020年の日本政府のカーボンニュートラル宣言を経て、現在に続く3つ目の時代が始まります。

大場氏は、この時代にはいくつか重要な変化のポイントがあると解説します。

1つは、水素の生産をスケールアップしてコストを下げるという発想をベースとした、2017年の水素基本戦略です。

業界トップ企業と政府が協力し、国策として長い年月と巨額のお金を投じて進めてきたFCV事業はなんとしても成功しなければなりません。技術開発はやれる限りやっている。それでもFCVがなぜ売れないのか考えると、やはり水素が高い、安ければFCVはもっと売れるはずだという発想になります。水素を安くするためにはどうしたらいいか、大量生産すればスケールメリットで安くなるだろうと。(中略)水素発電をすれば水素の需要が増えて水素のコストが下がり、FCVが売れるというストーリーが作られます。それが2017年の水素基本戦略のベースにもなっています。(大場氏)

こうして2017年の水素基本戦略には水素ガスタービンでFCV200万台分になる水素需要を創出することや、オーストラリアや中東から水素を大量輸入する計画が盛り込まれます。

2つめのポイントは、世界的なカーボンニュートラルのトレンドです。パリ協定で温暖化を産業革命前と比べて1.5度以内に抑える目標が掲げられたことをきっかけに、先進国が相次いでカーボンニュートラルへ動き出し、日本も2020年に、2050年カーボンニュートラルを宣言しました。

2050年にカーボンニュートラル(を実現する)となると火力発電をなくすということになりますので、水素やアンモニアを燃やすか、再生可能エネルギー由来の電力を水素(への変換)によって貯蔵するというアイデアが正当化されることになりました。(大場氏)


もう1つ、大場氏が重要な変化のポイントと指摘するのが、内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)のエネルギーキャリア事業から持ち上がったアンモニア石炭混焼というアイデアです。

アンモニア混焼のアイデアと、水素基本戦略とカーボンニュートラル、さらにはGX推進戦略も混ざるようなかたちで改訂水素戦略が生まれたということになります。(大場氏)

このような経緯を経て、2023年に改訂された水素基本戦略は、FCVよりもアンモニアや水素を用いた発電がより前面に出た内容となっています。


エネルギー白書の”トレンド”は水素とアンモニア

実際に、「エネルギー白書」に登場する水素関連キーワードを見ると、大場氏の解説で振り返ってきた日本の水素戦略の焦点の推移がわかります。

 

エネルギー白書における水素関連語言及頻度 © ポスト石油戦略研究所

 

このグラフは、大場氏が分析した「エネルギー白書」における水素関連単語の言及頻度です。大場氏が解説したターニングポイントを経て、エネルギー政策の関心事項が変化していることが見て取れます。特にカーボンニュートラル宣言後の発電燃料への拡大の時代以降、アンモニアの言及頻度は飛躍的に増え、アンモニアと水素への関心が大きくなっていることがわかります。

日本の水素社会構想の実現可能性は?

大場氏の解説により、現在の日本の水素政策がどのような転機を経て、どのような名目で今のかたちをとっているかが見えてきました。「脱石油」を目的とした時代から「FCV販売促進」を目的とした時代を経て、今やカーボンニュートラルの名の下に「なんでもあり」になっているように見える、と大場氏は言います。

  • セミナーレポートVOL.2では、マイケル・リーブライク氏による、水素活用の世界的トレンドや日本の水素戦略の課題についての解説のハイライトをお届けします。